ぬま塾 vol.27
2019年3月27日(水)に、第27回ぬま塾を開催しました。
第27回のゲストは、株式会社みらい造船の代表取締役社長 木戸浦健歓さんです。
「海から見たら、気仙沼は大都会」
第25回のゲスト、勝倉さんがおっしゃっていました。
きっとそれは、造船会社である”株式会社みらい造船”さんの存在も大きいのではないでしょうか?
港町、気仙沼の漁船を支える、造船会社さん。
この日は、その代表取締役社長である、木戸浦健歓さんにお話を伺いました。
参加者は23名。この日は、株式会社みらい造船さんの若手社員さんが、社長のお話を聞きに、たくさん参加してくださいました。
講話
ここでは講話のポイントをいくつかご紹介します。
- アメリカ・メイン州の学校に通い、ヨットデザインを学んだ。卒業直前にファイナルプロジェクト(卒業研究のようなもの)としてヨットの設計に取り組んだ。1週間の睡眠時間が20時間という過酷な状況の中で、ある日偶然テレビをつけたらやっていたのが「アメリカズカップ」だった。その時に、すごくかじりついてテレビを見ていたのを覚えている。心身の疲れがピークの状態で、「すごくかっこいい。この仕事をやりたい」と思った。うまく表現できないが、初恋のようなもので、条件抜きでビビッときた。それが、25歳で初めて将来やりたいことが見つかった瞬間だった。
- アメリカのヨット制作会社で働き、日本へ帰国。船に関わる仕事をしようと、大手・中小の造船会社に片っ端からエントリーをしたものの、造船不況の時代だったため、どこにも雇ってもらえなかった。就職先が見つからず、母親が勧めてきた会社にエントリーをし、脈略も何もない東京の画廊で働くことになった。船もアメリカズカップも全く関係なく無気力で、ただ働きたいという思いだけで勤めることになった。
- 画廊では、役員秘書として社長の鞄持ちをしていた。週に数回、社長を東京駅まで送る仕事があったが、その道中でヨットをモチーフにしてつくられた建物、東京国際フォーラムの横を通り過ぎていた。毎回この建物を見る度に、「僕がやりたかったのは、この仕事ではなかったのでないか」という思いが少しずつ大きくなっていった。画廊に勤めて1年半が経ち、意を決してもう一度船の世界に戻ろうと思った。
- もともと知り合いだった兵庫県姫路にあるヨットデザイン会社の方(松本さん)に連絡をした。「松本さんのところで働きたい」と伝えたところ、「ひとりでやっている会社だから給料は出せない」と言われて、一度考え直した。一方で画廊の社長に「会社をやめたい」という話をしたところ、「英語を活かして、ベルギーでダイヤモンドの買い付けの仕事をしないか」と誘われた。おもしろそうだなと思ったものの、自分は船の仕事がしたいんだと思い直し、再び松本さんに連絡をした。すると、静岡県御殿場市にある、これから船の製造を開始しようとしていた会社を紹介された。そこでの仕事がまさに、アメリカズカップに参加する日本チーム(ニッポンチャレンジ)の船をつくるという仕事だった。
- その会社に入社して、ニッポンチャレンジの船の製造・構造設計に携わった。静岡県御殿場市では製造・構造設計を行い、神奈川県横浜市磯子で船の製造を、オーストラリア・ナウラへ出向しマストの製造の現地マネージャーを勤め、最後にはアメリカズカップ開催地のニュージーランド・オークランドでメンテナンスクルーのお手伝いをした。
- 2002年、ニッポンチャレンジがアメリカズカップの出場を辞退することになった。それをきっかけに「自分はこのままこの会社で船造りを追求するのか?」と、自分に問いかけるようになった。アメリカズカップの船を造るという仕事は、知識も技術も最先端で、デザイン、製造設計など各業界のトップの人たちが関わっている。その世界に自分は全く太刀打ちできなかった。「自分がここで太刀打ちできるようになるのは何十年後なんだろう?自分は何ができるんだろう?」ということを考えた。そして、今まで誰もやっていないであろう、“ニッポンチャレンジを立ち上げる”ということに自分の力を注ぎたいと思った。そのために必要となる基礎的な部分を身に付けたいと思うようになった。
- 2002年に退社。そのタイミングで知り合いに声をかけられ、アメリカ・ニューヨークで新しい会社を立ち上げるお手伝いをすることになった。今後ニッポンチャレンジを1から立ち上げる為に必要となる、プロジェクトを0→1で立ち上げる経験ができるチャンスだと思い、2つ返事で引き受けた。
- 何もないところから、会社、プロジェクトを立ち上げ、ある程度のところまで拡大させるという一巡の流れを学ぶことができた為、日本に戻って自分が本当にやりたい「アメリカズカップ、ヨットレース」に関わる仕事をしようと思った。その現場として、実家である「木戸浦造船」で船の製造に関わろうと思いつき、高校を卒業してから初めて気仙沼に戻ってきた。
- 今の夢は、アメリカズカップ、SAILGP、Volvo Ocean Race、この3大レースを気仙沼でやること。理由は私が好きだから、やりたいから。さらに言うと、たくさんの人が楽しい気分になるスポーツだと思うので、開催することで人を幸せにできると思う。また、世界のトップレベルの人と接する機会は貴重である。自分の夢を気仙沼でやる理由は、気仙沼でできれば日本国中で夢を実現できる可能性があるということだから。原動力は、お金ではなく、自分の心の中にあるものである。
グループトーク
先輩のお話を聞いた後は、同じテーブルに座っている参加者同士で、お話を聞いた感想を共有しました。
実際にみらい造船さんで働かれている社員さんから、リアルな造船現場のお話を聞くことができて楽しかった!という声も。
参加者のこえ
最後に、参加者のみなさんの「感想」をご紹介します。
《感想》
- 夢の持ち方、夢を語る姿勢が印象的でした。
- 社長がとても魅力的な人でした。社長の哲学が本当に刺激になりました。
- 夢、エネルギー、情熱。木戸浦社長のお話からあふれだしていて、聞いている方がわくわくしてきました。
「理由は、私が好きだから、やりたいから。」
今思い描いていらっしゃる”夢”を目指す理由が、すごくシンプルで、心にグサッと刺さりました。
何かをやる理由は、まず単純に「自分がやりたいか、どうか」でいいんだなと、思いました。
社長のお話には、「夢の探し方」のヒントがたくさんちらばっていました。
参加されたみなさんにとっても、ヒントになっていたら嬉しいな、と思う、ぬま塾でした。
次回もお楽しみに〜!!