ぬま塾 vol.17
みなさん、こんにちは。地域支援員の矢野です。
2017年3月15日(水)に第17回ぬま塾を開催しました。
気仙沼の“観光”を支えていらっしゃる方の一人。
今回は、サンマリン気仙沼ホテル観洋、気仙沼プラザホテルの女将 田村恭子さんにお越しいただきました。
やわらかい雰囲気で、笑顔がすてきな女将。私は、初めて会った時に(勝手に)ファンになりました。
一方で、芯はとても強い、憧れる存在の女性です。
参加者は32名。3月ということもあり、多くの大学生や市外の方に参加いただきました。「今回初めてぬま塾に参加した!」という方は、なんと18名。参加者全体の半分以上でした。
講話
女将が子どもの頃のお話から、東京での生活、気仙沼に戻り2つのホテルの女将を務めて、今に至るまで、女将の人生を丁寧にお話しくださいました。
ここでは講話のポイントをいくつかご紹介します。詳しい講話内容は、後日公開予定の講話アーカイブをご覧くださいね。
- 昭和36年に父が気仙沼で創業した阿部長商店(水産会社)を営む家に、姉、兄という3人兄弟の次女として生まれた。姉と兄は、小さい頃から両親に「家を継ぐ」と言われて育ってきたが、3番目の私は特に何も言われなかった。私は、将来に関してなんだかちょっと自由な、なんだか戻ってきて家業を手伝ってもいいような、そういう環境で育った。
- 小中高を通して、レストランの皿洗いや、布団上げなど、高校生になるとアルバイト賃をもらいながら楽しく手伝いをしていた。手伝いを通して、家の仕事はこういうものだということが身についていた。そして、自分ももしかしたら家業を手伝うのかなと、お気楽な感じで考えていた。
- 高校卒業後、「旅館・観光」のことを勉強するのが良いかなと思い、東京の短大に進学する。気仙沼とは違い、便利でキラキラしている東京に大きな衝撃を受けた。アルバイトをしながら、気仙沼ではなかなか出来なかった旅行に出かけ、東京生活を楽しんだ。
- 両親から「戻ってこい」と言われなかったので、東京の旅行会社に就職を決めた。旅行会社の仕事は、旅館の仕事と全く違うわけではなく役に立つことも多々あった。一方で、旅館では出来ない「お客様を楽しませながら旅行をすすめ、旅館に送り込む」という立場もすごく楽しいなと思っていた。
- 3、4年働いた後、東京出身の男性と結婚して専業主婦になった。一方で、家業の事業拡大を目の当たりにし「もしかしたら気仙沼に戻らなくちゃいけないんだろうな」と思うようになった。小さい頃から両親が身を粉にして働く姿を見ていたので、「どこかで恩返しをしなくちゃならないな」という想いはあり、それは結婚当初から主人に話していた。子どもの小学校入学や、主人の転勤も重なり、平成10年に気仙沼へ戻ることを決める。
- 気仙沼に戻り、サンマリン気仙沼ホテル観洋の女将となる。東京で生活していた頃、気仙沼に戻ってきた際には家業の手伝いをしていたものの、実際に戻ってきてホテルに入ったとき、改めて家業の大変さを実感した。
- 女将として、一からのスタートをきった。仕事の流れや、休みなしの24時間体制をシフトで回すという制度は初めてで、頭で考えてもよく分からなかった。まずは、「やってみる」「行動してみる」と決意し、自分もシフト制度に入って働いた。「潤滑油になりなさい」とよく言われていたが、従業員さんが職場でスムーズに仕事をできることが、結局はお客様に返っていくということに気づき、その言葉に納得した。
- 2人の子どもは、母と叔母が面倒を見てくれていた。小さい子どもを持つ女性従業員に対しては「甘えられる人がいるんだったら甘える」「時間にメリハリをつけて、仕事と家庭を切り分ける」ということをアドバイスしている。時間にメリハリをつけるということは、お客様を途中で放り出すことになるかもしれないが、「無理なものは無理」「中途半端になるかもしれない」ということを周りに理解してもらい、まずは長く続けられることを大切にしてきた。仕事と育児の両立は大変だったが、職場に相談できる相手がいたこと、PTAなどはきちんと役割分担をして、時々ママ友の手をかりたからこそ、なんとか子どもを育てることが出来たと思う。そういう環境は大切。
- 平成18年、別の方がやられていたプラザホテルの経営を阿部長グループが引き継ぐことになり、自分は女将として立ち上げに携わることになった。同時に家庭環境が変わる出来事もあったが、その不安定な気持ちのモチベーションを、プラザホテルで保とうという想いと、従業員の方々が「頑張ります」「一生懸命やっていきます」と、前向きな姿勢を見せてくれたことが、プラザホテルの再建に全力で取り組むことが出来た理由であると思う。
- 平成17年に地下1800mの温泉を掘った。温泉は震災ではびくともせず、支援者の方々に入浴していただくことが出来た。その時、多くの方に「すごく良いお湯だよ」と言っていただいたことから、温泉がホテルの宝であり、強みであるということに気づいた。この温泉を、「宮城県と言えば気仙沼温泉」と言って頂けるようにしたいと思っている。
- ホテルの女将という仕事は、人と関わりをもつことができる仕事で、それを通して成長できる場であり、自分のためになる仕事だなと、震災後特に感じている。
トークセッション
講話の後は、ゲスト×司会者のトークセッションを行い、さらに詳しくお話をうかがいました。
《質問》
キラキラしていた東京を離れて、気仙沼へ戻ることを決めたきっかけを詳しく聞きたいです。
《ゲストの回答》
1番は、家業が一気に大きくなっていることを目の当たりにしたこと。同時に、子どもも小学校、幼稚園に入る時期であり、主人の全国転勤が重なって、気仙沼に戻るチャンスだと思った。また親戚とも離れているし、子育ての不安もあり、ずっと東京では暮らさないだろうという気持ちもどこかであった。
《質問》
8年間専業主婦をしてから気仙沼に戻り、子育てをしながら女将として社会復帰をした時の苦労したエピソードは?
《ゲストの回答》
仕事に就いた時からすでにつらかった。(笑)まだまだ知識が足りない自分が、お客様からは女将という目線で見られるということに対して、とにかく意識・知識の穴埋めをしなくちゃいけないと思っていた。しかし焦ってはだめで、経験が必要なので早く年をとらないかなと思っていた。すぐには身につかないということもわかっていたので、「石の上には三年」と、「仕事はまず3年やってみる」ということを昔よく聞かされていたこともあり、まずは3年、できることからやっていこうと自分に言い聞かせて過ごしていた。
《質問》
仕事での楽しいことは?
《ゲストの回答》
私は、いろいろな“場”に顔を出させてもらっている。例えば、つばき会やロータリークラブにも所属しているが、怖いもの知らずで、とりあえずやってみて、そこで衝撃を受けて、さらにやる気を加速させる、そんな性格である。私が出席する会議では、女性が私一人ということが多いけれども、それも怖いもの知らずでまずは参加してみて、いろいろな人と話すようにしている。人と話すことが好きなのかもしれない。
グループトーク
A3用紙に「感想」「今後に活かしたいこと」「ゲストへの質問」を書き出してもらった後、3~4人一組で紙に書いたことをシェアしました。
参加者のこえ
参加者が、講義の中で「感想」と「印象に残った言葉」をご紹介します。
《感想》
- とても優しく穏やかな話し方や雰囲気の中に、強い芯や軸をしっかりと持っていらっしゃるのだと感じました。
- 何年もブランクがある中で、実家とはいえ新たな環境に飛び込んでいく勇気に感銘を受けました。
- 温泉入りたい…
《印象に残った言葉》
- とりあえずやってみる
- 石の上にも三年
- 甘えられる人がいるなら、甘えた方がいい
穏やかで柔らかい雰囲気の中に、とても強い想いを持たれている方ということが、参加者のみなさんにも伝わったようです。
女将に一度お会いしたら、あなたもきっとファンになりますよ。
最後に。
当日、参加者のみなさんからゲストへの質問をたくさんいただきました。
そこで、スタッフが後日、田村女将を突撃し、全ての質問に答えていただきました!
いろいろな角度からの質問に、悩みながらも、ご丁寧に回答いただいております。
講話では聞ききれなかった、女将の想い、ホテル業のお話など盛りだくさん。ぜひ一度、読んでみてください!
◆「ぬま塾 vol.17 ~ゲストへのQ&A集~」はこちら