ぬま塾 vol.23

ぬま塾 vol.23

みなさん、こんにちは。地域支援員の小野寺です。
今年の夏はすごく暑くなりそうですね・・。
こまめに水分補給をして、この暑さを乗り越えていきましょう!

さて、2018年6月6日(水)に第23回ぬま塾を開催しました。
今年度最初のゲストとして株式会社オノデラコーポレーション 常務取締役 小野寺紀子さんをお呼びしました。

株式会社オノデラコーポレーションを創立して、今年で20年。それまでは、ごく普通のサラリーマンの娘でした。
周りにたくさんの漁師さんがいた中での環境、気仙沼の港を支える‟つばき会”の活動。
紀子さんからは漁師さんへの愛情、そして気仙沼の港に対する想いがすごく感じられました。

ぬま塾 vol.23

参加者は29名。そのうち、「今回初めてぬま塾に参加した!」という方は、全体のほぼ半分を占める13名。たまたま気仙沼に訪れていて、この企画があることを知り、急遽参加してくださった方もいました。

講話

ぬま塾 vol.23
子どもの頃のお話から、東京の築地に就職したお話、そして気仙沼に戻ってきてからこれまでについて、楽しくお話をしてくださいました。ここでは講話のポイントをいくつかご紹介します。

  • 父が7人兄弟、母が4人兄弟ということもあり親戚が多い。親戚一同気仙沼市在住だった為、「夏休みは横浜のおばあちゃんの家に行くの」などと言っていた友達が羨ましかった。
  • 高校生の時に父の独立話がでた。「あれ、明日から私たちご飯食べられなくなるの?」という状況になった。せめて、弟だけには大学へ行かせてあげたいと思い自分は大学へ行くのを諦めた。当時は、短大あたりにでも行って就職して社内恋愛、結婚、そしてどこかで団地妻にでもなるのかなという将来を思い描いていた。
  • 独立して、一人で働く父のことを考えると可哀想だと思い、手伝ってあげようかなと思った。父に「これまで台湾など海外の仕事に関わってきたから、独立したらそっち方面の仕事をやる」と言われ、「じゃあ、私は台湾に行って中国語を覚えた方がいいのかな」と思って台湾へ行くことを決めた。
  • 高校の卒業式が終わった3月末に夜行バスに乗って雪の降る中、台湾に向かった。当時18歳だった。
  • 台湾の南部、高雄という港町の知り合いの家にホームステイしながら「ただ中国語を覚えればいいかな」と思いながら中国語の勉強をしていた。日本にいる時は全く本を読むことが好きではなかったが、台湾では何でもいいから日本語の本が読みたくなった。そこで『空飛ぶマグロ』という1冊の本と出会った。その本の影響を受け、「マグロの商売いいな」と思っているところに築地の会社の人と出会い、大都魚類株式会社へ就職することになった。
  • 初めての就職が大都魚類株式会社で『おおろし』というセリの仕事をしていた。今でこそ築地の市場も女性の方々が長靴を履いて朝早くから働いているが私が入社した年に都条例で女性のタクシー運転手と市場の女性が朝5時から働けるという様に変更になった。そのため、たぶん自分が築地市場で長靴女子1号か2号くらいだと思う。その当時は築地で大変珍しいマグロの部門を希望して入社したが、女性は前例がないということで、海外部という海外から空輸で持ってくるヒラメやカツオ、ロブスターなどありとあらゆる高級魚を輸入して、それを東京の築地で売っていた。また、大阪や名古屋などその土地で受け入れられる魚が違うので、その土地にあった魚を輸入し、売るという仕事をしていた。
  • 私が働き始めたあたりに父が独立し、結局一人でやっている父が可哀想だと思い始めて26歳~27歳くらいに1回気仙沼に帰ってきた。家業であるオノデラコーポレーションへ就職。父同様、エンジンの部品などの機械系の仕事をすることになった。この仕事に対する興味がなかった為、何を言われても全然理解したくないしできなかった。
  • 仕事に気分が乗らなかった時に築地時代の同期の父が大船渡のすごく大きい水産会社の社長で、気仙沼に帰ることを話した時「んで、おらいのサンマ売れ」と言われていたのでそこへ就職しサンマを輸出するようになった。その当時は開港だったので大きい運搬船が結構気仙沼に入ってきて「はい、今日サンマ100t」とか輸出するところから私の気仙沼での魚屋人生が始まった。
  • のちにアメリカにいた弟が大学を卒業して帰ってきて、現在弟はオノデラコーポレーションのコーヒー事業部を担当している。私はオーシャン事業部で輸出をメインにやっている。
  • 出会いとか知り合う範囲も狭い中で震災があって「どーすっぺ。なにかやらなきゃいけないな。」と思っていた時に気仙沼つばき会からお声がけいただいてつばき会に入った。
  • 震災後に気仙沼つばき会に入ったので「新人です」という感じだった。私は早く帰ってご飯を食べさせなきゃいけない子供がいるとか、文句ばかり言う旦那さんがいるとかもなく、自由なので「ここはまず自分ができる範囲でやらなきゃ」という感じでやっている。会社も自分の会社なので自由度がきくため、つばき会の活動は全く負担にも思っていないし、すごく楽しいなっていう感じでやっている。
  • 気仙沼つばき会は70歳~80歳くらいの方達がいて、会長は56歳くらい。10個以上離れた先輩がいて、自分の世代が数人いて、若い人たちが沢山いるから色々学ぶことが多い。他の女性の会だと遠慮とかあるが、気仙沼つばき会の場合ズバズバ言うし、決断とかも早いからそういったところはすごく経営者として学ぶところが多い。それが漁師カレンダーや色々なイベントを立ち上げていく力になる部分があるのかなと思っている。今はつばき会の若手の会『リトルカメリア』、略して『LC』という部下団体がある。LCは上に気兼ねすることなく自由に発案して実行して取り組むことをモットーにやっている為、LCはLCですごく大変だと思っている。
  • だいたい話す話は資源管理のことが多い。日本の漁業管理方法っていうのは大変無策であると感じている。愛してやまない漁師さん達がどんどん高齢化していってなかなか若い人が来ないということの問題の根源にあるのは、資源管理方法だといつも思っている。気仙沼に船がなくてはならない存在なので、そういったところで繋がってつばき会の活動など海に関する活動をしている。
トークセッション

ぬま塾 vol.23

講話の後は、ゲスト×司会者のトークセッションを行い、さらに詳しくお話をうかがいました。

《質問》
18歳で台湾に行って21歳で東京の会社へ入社した、この3年間何があったのですか?
《ゲストの回答》
東京とか行ってもカルチャーショックがあると思うけど、いきなり台湾だったのでカルチャーショックってものじゃないくらいすごかった。1ヵ月で10キロ痩せて、円形脱毛症が4つできて「私、大変なことになってしまった」っていう自分への直感というか「失敗したな」っていう気持ち。唯一、実家に電話して言った言葉が「目の前が真っ暗すぎる」。でも、今はこうやって中国語使って仕事で出来ているし、あの時台湾に行って「良かった」と思っている。

グループトーク&質疑応答

ぬま塾 vol.23

3~4人のグループになり、講話の感想を共有しました。今回も、前回行った「あめ」を使ったグループ分けが盛り上がりましたよ。

グループトークの後は、ゲストへ質疑応答の時間です。今回はその中のひとつをご紹介します。
《参加者からの質問》
漁師さんへの愛情をすごく感じたのですが、昔からの環境があったからですか?
《ゲストの回答》
漁師さんは、馬鹿な人はできない仕事。死ぬかもしれないという最大のリスクを背負っているのは漁師さんだと思う。腹決めて行っているっていう胆力。そういう部分は漁師ならではだと思うし、漁師カレンダーを始めたのも全国や世界に『かっこいい』を発信したいというのが一番。

参加者のこえ

参加者が、講義の中で「感想」と「印象に残った言葉」をご紹介します。
《感想》

  • 漁師さんへの愛、120%共感しました。漁師なくして気仙沼なし。
  • 世界でも一番くらいの漁船の街だということが初めて知った。
  • 「リスクを恐れない!」。自分もやってみようと思った。

《印象に残った言葉》

  • やりたいことあるなら、やってみたらいいっちゃー
  • 地域振興のために、企業誘致でなく起業家に尽力する方が良い

 
紀子さんの「震災で多くのものを失った…でも、こうやって移住なさった方々と出会うことができたのは今となっては震災のおかげ…」この言葉が私にとってすごく沁みました。
気仙沼市民と移住なさってくれている方々が互いに手を取り合い、気仙沼をもっと活気つけていけたらいいですね。その為に、私たち地域支援員も、引き続きがんばります!

次回のぬま塾もお楽しみに!